国旗日の丸の生みの親 島津家二十八代当主 島津斉彬

1854年(嘉永7年)3月の日米和親条約調印後、外国船と区別するための標識が必要となり、日本国共通の船舶旗(日本惣船印)を制定する必要が生じた。幕臣達は当初「大中黒」(徳川氏の先祖である新田氏の旗。白地に黒の横一文字)を日本惣船印に考えていたが、薩摩藩主島津斉彬、幕府海防参与徳川斉昭らの進言によって、「日の丸」の幟を用いることになり、同7月9日、老中阿部正弘により布告された。
島津斉彬が進言した理由は、鹿児島城内から見た桜島から昇る太陽を美しく思い、これを国旗にしようと家臣に言ったといわれている。翌1855年(安政2年)、島津斉彬は洋式軍艦「昇平丸」を幕府に献上するが、このとき初めて日章旗が船尾部に掲揚された。これが日章旗を日本の船旗として掲揚した第一号である。

島津斉彬

島津斉彬 肖像画
By 鶴嶺神社蔵

島津家第28代当主の島津斉彬は幕末の名君であり、人材登用に優れて西郷隆盛ら明治維新に活躍する人材を育て上げました。また、藩主にして科学者でもあり、多くの功績を残しました。

桜島からの日の出

桜島からの日の出


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